たれぱんのびぼーろく

わたしの備忘録、生物学とプログラミングが多いかも

顧客の限界

顧客と向き合わないビジネスはいずれ潰れる。
でも向き合うべき顧客が不完全だったら?
だから顧客の限界を知ることからはじまる。

第2欲求がわからない

顧客は今の不満がわかる。目の前の第1欲求を言葉や行動で示せる。
ゆえに顧客と真摯に向き合えばビジネスの次の一手が見えてくる。

しかし、顧客は自身の 第2欲求 がわからない。
腹が減ってるのはわかっても、腹が膨らんだ先にある欲求が美食欲なのか健康欲なのかわからない。

欲望/欲求は論理的なものではなく、本能的に湧き出るものである。
脳内のチェックリストをなぞって「Aは5点不足、Bは2点不足、Cは4点不足。よって第1欲求はA!」としてるわけじゃない。ゆえに感じられない場合、考えても分からない (それっぽい理由づけして挙げること自体は可能)。

専門家の罠 - 不可能を可能にしたがる

専門家は不可能を可能にする。世界の限界を押し広げられる。これは専門家の誇り。

これがビジネス上、仇となるケースがある。
専門家はより困難で、より切実で、よりわかってるお客さんへ価値を届けたくなる。そのために不可能を可能に、より高性能にし続けると、主要顧客がニッチになり続ける。
これは既存顧客の一部にとって性能の過剰供給である。これを続けていると、いずれ破壊的イノベーションで市場を奪われる。

技術はビジネスの一要素に過ぎない、市場投入せよ

「市場が成熟するまで技術をラボで熟成し、市場が立ち上がったら満を持して上梓する」
よくあるパターンであり、一理ある気もするし、なんか見落としてる気もする。

これはビジネス構築を無視している。
「市場が成熟するまでビジネスを企画部で熟成し、市場が立ち上がったら満を持して参入する」
と言われると、机上の空論ぽさが目につく。
ラボ熟成すると技術は磨けてもビジネスを磨けない。机上でビジネスを磨くのも可能ではあるが、検証が著しく難しい。

ゆえに、持続的イノベーションではこの手法が使える。破壊的イノベーションの場合は使えない。

イノベーションのジレンマからの学び

「非合理な新市場開拓」無しだと勝てないパターンが存在する。
そして非合理だから優良企業には実行できず、優良企業が優良ゆえに倒される (イノベーションのジレンマ)。

「遠い将来に現行技術を圧倒するかもしれない技術」が実際に革新的だった時にこのパターンになる。
技術がかなり遠いため、性能を磨いてビジネスごとフィットさせるには市場投入を要する。
しかし先行きが不透明で初期市場規模も小さい新規市場は投資困難。さらに現行市場には性能不足で投入しようがない。

未成熟な銀の弾丸 / immature silver bullet

別市場で育った筋肉質なビジネスモデルが、持続的成長により既存市場の主要価値基準で同等になり、総合的に駆逐する。

新技術が現市場の一次欲望を満たせないことに注目し、投資判断を遅らせる。新技術が二次欲望を破壊的に満たすことを組織的に重視できない。結果として投資が不十分になる。

耳障りの良い論点ずらし

5番目の原因を取り上げる

例: 「日本の科学力低下は昭和的講座制にある!」と声高に主張する。
この講座制是非単体は議論する価値がある。
一方、あたかもこれが主因であるかのように議論したがるのは「耳障りの良い論点ずらし」である。
「投資しなかったから当たり前に凋落した」という、面白くも無い、聞きたくも無い主因から現実逃避している。

正しさへの執着、責任への拘泥

自らが正しい/正しくないことへ執着するメンタリティをもつ。
すると、事象の原因を担う = 責任を負う者を解明するのに拘泥することになる。

過去は変えられない。出来るのはより良い未来を得ようとすることだけ。
ゆえに、未来を良くする道具として事象の構造を理解するのは大事。
でもこれはあくまで道具の1つ。ランダム事象に究極的原因は無いし、あるか無いか分からないものを執拗に見るのは不合理。

でも正しさへの執着が発生すると、この不合理を突破して兎に角責任を明確化したがってしまう。
これは未来へ使えるリソースをバンバン削っていき、自身を不幸せにする。

自責思考・他責思考という言葉が流行っているのは、やたら正しさに拘る風潮を内面化してしまい、責任に拘泥するメンタリティとなった結果なのかも。
正義中毒の派生系なんだと思う。