たれぱんのびぼーろく

わたしの備忘録、生物学とプログラミングが多いかも

意思決定の情報源

前提: 1エージェントが捌ける情報量には上限がある

世界でたった1人だけ正解を見出していて、それを拾いたい

「これが正解だ!」って100万人主張してたら、100万件を総当たり精査するしかない?
たった1人しか正解を見出していないので、この段階で(精査なしに)自力で選ぶことはできない.
他の999,999人も正解は知らないので、精査なしに正解投票とかもできない.

1人で検証して正答を見出そうとしたら、100万件を1人で捌くしかない. これは無理.
100万人に「自分以外の100案を精査して評価してください」って伝えると、100万件に対して計1億件の評価がつく (100評価/案).
上位1%の案に絞って同じことをすると、1万評価/案が1万個 (累計200評価/人)
繰り返してくと物凄く絞れる.

どんな暗示的前提がある?
① 精査がある程度まともな評価を下す
② 良い案はみんなに評価される (多数決の有効性)

直接民主制みを感じる.
代議制の問題点である「現場わかってない」は発生しない.
基本全員が現場の人間で、現場の意見が評価へ反映されている.
「現場もまた偏っている」のは事実なので、その辺は工夫の余地がありそう.
なんにせよ、現場の意見を現場の知見でセレクションできる仕組みはありうる.

① 精査はマトモな評価をする
プロダクトが大きくなればなるほど、全体像は見えなくなる.
エージェントには情報上限があるので、素のデータ見てたらどこかで必ず部分しか見えなくなる.

② 多数決の有効性
ある程度専門分化してたら、特定分野の直感は特定の現場しか持たないことになる.
分野が特化して分野総数が増えるほど、無知領域数が増えて、多数決は機能しなくなる

なにを直接的に選び出すのか

コアアイデア: 現場の知見 (何に関する?)

現場は特定の問題に特定の技術をもって実際にあたっている。問題と向き合い続けると見えてくるのもがあって、それが知見.

問題の解決方法はいっぱいあって、それは複数側面から見ないとまともに評価できない.
現場は今手元にある武器で解決しようと頑張ってるので、解決策案の評価はあまり公平じゃない ("使えない"の評価はとても優れてるはず)

何を解くべきか、解くべき問題、現状の不満点、届けるべき価値、は現場がよく知ってる.
これをセレクションしてくる.
セレクション後、みんなで案を持ち寄る (セレクションしないと情報量が多すぎる)

アジャイルなやつ

私たちは、価値提供の実践 あるいは実践を手助けをする活動を通じて、 よりよい価値提供方法を見つけだそうとしている。 この活動を通して、私たちは以下の価値観に至った。

作業 (work) よりも価値 (value) を、
予測 (prediction) よりも適応 (adaption) を、
机上 (armchair) よりも現場 (field) を、
手段 (methodology) よりも人間 (humanity) を、

価値とする。すなわち、左記のことがらに価値があることを
認めながらも、私たちは右記のことがらにより価値をおく。

めちゃくちゃ抽象的だけど、ほぼアジャイル系の言っていること.

価値を生むことが作業の目的
完璧な事前計画は微妙な価値を生むが、そこから学び適応すれば徐々に価値は増えていく
計画のヒントは机の上ではなく問題と向き合い続ける現場にある
手段を使いこなせるのは尊重された人間である

アンチパターン
作業量すなわち努力に注目して、それが何を達成しているのか見ていない.
時間をかけて緻密に計画するはいいものの、徐々に狂いだし最後は計画を誰も顧みない
現場を知らない人が立てた完璧な計画を見て、現場は苦笑い
山盛りの手順書通りに手を動かし、私はまるで機械

マーケティング: 存在を製品に変える

人が絶滅してもリンゴは木になる.
人が絶滅してもiPhoneの在庫はそこにある.
人が絶滅してもビックサンダーマウンテンは走る.
それが使われまいがなんだろうが、存在は存在として存在する.

存在は人が利用を認識することで製品/プロダクトと見做され、人に価値をもたらすものへと変わる.
人と独立した存在を、人が価値を求める製品へと変える全ての過程がマーケティング.

家で独りで工作するのは楽しい。その結果、なんか満足げな存在が作れて嬉しい。そこにはマーケットも何もない.
もし、画商がやって来て「これは神の作品だ、ぜひ扱わせてくれ」ってなったら、この存在は製品になる.
画商がやったことがマーケティング.
製品 (価値をもたらすもの) としてのラベリング・意味付けが行われてる.

「じゃあ開発はマーケじゃない?」というとこが肝.
マーケティングを意識しない創造はもちろんたくさんある (上記の例).
ただし、製品になることを最初から意図して存在を生み出すことも出来る.
そのアプローチを取れば、いわば「狙った価値を届ける」ことが可能になる.
その意味で、"製品開発" で生まれるモノは開始時点から製品としてのラベリングがなされてるため、製品開発そのものとマーケティングと言える.
というか、製品開発を含めたマーケティングが可能でそれはとても強い.
つまり

  • まず存在あり、そこによく合うラベルを考えて売り出す
  • まず価値(仮説)あり、それによく合う存在を考えて作り出して売り出す

のやり方がある.
存在を売るのか、売れる存在を作るのか.
product out ~ market inスペクトルと同じ見方.

value entity
モノに価値をつける、価値あるモノをつくる

価値提供仮説

「価値提供仮説」 value proposition hypothesis

これをユーザーが価値あると感じてくれると思う (valueそのものの仮説)
proposition過程 (needs/dissatisfaction-> UX -> value)
UXを引き起こす提供方法/ソリューション
3つセットに対する仮説.

仮説は計画と違う.
計画は基本従うもの.
仮説は信じてる (現段階で尤もらしい) けど実証の対象となるもの

スクラムで気になってるところ

whatの適応は素晴らしい (そこらじゅうに埋め込まれたPBIリファイメントへの誘導)
whyの適応は誘導が甘くない…?

プロダクトゴールを定期的に見直すことは肝要なのに、それをencourageする仕組みが明示されてない.
スタートアップの殆どは「価値のない問題」へ必死にwhatを供給しようとして死ぬ
大企業の穏やかな死も大概これ

プロダクトゴールリファイメントへの誘導をもっとかけた方がいい気がする.

プロダクトゴールがスクラムで規定される1番外側の存在.
ゴールの最終決定Accountabilityはプロダクトオーナーにあるので、自由度はあってやり方は任されてる.

同じプロダクトを違う問いにぶつけることは全然できる.
ユーザーが独自に問いを変えることもあるが、提供側からできるのは宣伝方法.
「〇〇を解決するソリューション!」から「△△を解くたった一つの冴えたやり方」って文句変えるだけでターゲットが変わる.
なので問いのリファイメントを高頻度でやるならマーケをチームのresponsibilityに追加するのは必須.

流れを誘導する

  • バイアスを掛ける
  • インセンティブを働かせる
  • 水は低きにながれる
    • 水はひび割れを見つける
  • encouragement

状態Xになって欲しいとして

「君が沢山やってるYはけしからん!禁止!」ってしても今度はZになって希望のXにはならない (c.f. ゲーム規制)

「状態Xになれ、問答無用!」ってしても無気力にXとなるか地下に潜るかがオチ

結局、本人が自由意志で状態Xを選ぶように"流れを作る"しかない.

プロセスアプローチの欠点

プロセスアプローチの背景信念: 良い system of processes があれば価値あるモノが出来る
反証: Garbage in, Garbage out

処理が優れていようが、出力は入力に依存する.
希望UXを入力に入れる優れたシステムがあるとして、ダメダメUXを希望したら (良くても) ダメUXが出てくる可能性が高い.