人が絶滅してもリンゴは木になる.
人が絶滅してもiPhoneの在庫はそこにある.
人が絶滅してもビックサンダーマウンテンは走る.
それが使われまいがなんだろうが、存在は存在として存在する.
存在は人が利用を認識することで製品/プロダクトと見做され、人に価値をもたらすものへと変わる.
人と独立した存在を、人が価値を求める製品へと変える全ての過程がマーケティング.
家で独りで工作するのは楽しい。その結果、なんか満足げな存在が作れて嬉しい。そこにはマーケットも何もない.
もし、画商がやって来て「これは神の作品だ、ぜひ扱わせてくれ」ってなったら、この存在は製品になる.
画商がやったことがマーケティング.
製品 (価値をもたらすもの) としてのラベリング・意味付けが行われてる.
「じゃあ開発はマーケじゃない?」というとこが肝.
マーケティングを意識しない創造はもちろんたくさんある (上記の例).
ただし、製品になることを最初から意図して存在を生み出すことも出来る.
そのアプローチを取れば、いわば「狙った価値を届ける」ことが可能になる.
その意味で、"製品開発" で生まれるモノは開始時点から製品としてのラベリングがなされてるため、製品開発そのものとマーケティングと言える.
というか、製品開発を含めたマーケティングが可能でそれはとても強い.
つまり
- まず存在あり、そこによく合うラベルを考えて売り出す
- まず価値(仮説)あり、それによく合う存在を考えて作り出して売り出す
のやり方がある.
存在を売るのか、売れる存在を作るのか.
product out ~ market inスペクトルと同じ見方.
value entity
モノに価値をつける、価値あるモノをつくる