たれぱんのびぼーろく

わたしの備忘録、生物学とプログラミングが多いかも

『映像の原則』に対する注釈とコメント

本書が扱うのは映像のうち「映像作品」。
作品の語のニュアンスは "TV/映画サイズの物語・ドラマ" に近い。

論理としては「映像は時間を繋ぐもの→物語が有用」で導入されており、これ自体は正しい。だが、説明を簡略化するためなのか「有用→必須」とほぼ説明無しに飛躍させているため、本書は映像作品全般でなくドラマ作品前提と (割り引いて) 考えておいた方が良い。

物語の演出に必要な映像の原則を学べる名著。

第3章 pp.43-58

静的フレーミングの基本 pp.51-53

視覚印象が最優先。これ基本。
また全体の良い印象に紛れて主題単体の印象のまずさが隠れるケースに注意。

動的構図論① pp.54-55

構図の経時変化による印象、およびその演出利用を解説("余白の継続と充足" 構図)。とても重要。

静的フレーミング論① pp.55-57

独自の構図論を説いてる。科学的根拠の無いオカルト。無視して良い。

3D立体映像 pp.57-58

コラム的な話題。飛び出しは落ち着いた鑑賞を妨げがち。奥引っ込みは可能性がある。とのこと。

第4章 pp.59-74 (読了)

歴史 pp.60-62

いまの制作体系に辿り着くまでの歴史、それによるアニメの癖について。
現場主義 (非体系的)、アトム由来のモンタージュ (リミテッド)、声優職以前に由来するアフレコ監修、といった感じ。

カットは記号 pp.62-63

カットは1パーツに過ぎない、シークエンスとして意味が出る、という内容。
「記号」の語を「本質的に無関係なシニフィアン」でなく「パーツ」の意味で使ってるっぽい。

演技と演出 pp.64-67

横道の話題。映像の原則ではなく、キャラクターに関する創作の原則。言ってることはごもっとも。以下が概要:

演技は一貫した人物を描くことであり、進行とキャラ付けに必要な記号的ポーズを並べるものではない。
一方で作品は劇であるため、自然主義的ななめらかで比較的平坦な演技が良いわけではない。進行にあった見せ場で自然な演技を記号的に演出し、"キャラクター" の振る舞いという止揚に至る必要がある。

現実向け tips pp.68-74

現実の制作へ向けたtips。
どの工程でも早期ラフとその修正を推奨。作品冒頭の掴みは全体の構造・作品のウリをチラ見せ。拘りをもって作り、多様な日常から学べ。

第5章 pp.75-150

動的構図論② pp.76-86

構図の経時変化による印象、およびその演出利用を解説("方向の維持と転換" 構図 & "サイズ変化" 構図)。とても重要。

静的フレーミング論② pp.87-90

独自の構図論を説いてる。科学的根拠の無いオカルト。無視して良い。

フレーミングテンプレへの警鐘 pp.90-91

フレーミングは流れとキャラに最適なものを都度探っていく工程。フレーミングの型に囚われ、型優先で単純な当てはめに走らないよう注意。

フレーミング印象と速度感 pp.91-92

基本的なフレーミングの印象を紹介。
またこれらを含んで複合的に決まる速度感とちゃんと向き合うことが重要。

遠近ある世界観描写 pp.92-93

単一主題以外が遠近に配置されると世界の色々を鑑賞者が理解しようとする。これにより視覚印象より物体理解に重心が寄る。そのため流れを切る副作用があり、全体の流れとの一体感をうまいこと演出する必要がある。
ある意味で気が散ってしまうということ。

静的フレーミング論 pp.94-98

カメラアングルに関する静的フレーミング論。わりと基本的。

照明 & 彩色 pp.99-105

照明・陰影も方向性構図を産む。静的視覚印象は当たり前にある。彩色は地域性があるので色々難しい。

動きの速度 pp.105-106

テンポとリズムの重要性。
速度感を左右する要素についてではなく、テンポ・リズムの重要性とそれが無視されがちな現状について。

映像に特有な型の危険性 pp.106-110

映像は流れに型が無いが個別パートの型がそれなりにある。だから個別パートに思慮浅く型を適用するとそのパートが浮く。
能だと流れに型がありそれ用の演技の型があるので、型をマスターすれば自然と滑らかになるよう設計されている。これは映像との大きな違い。
流れ/全体プランとの整合性を常に取ること。

当たり前だがかなり重要な言語化。各所で出てくる「全体に対して」と本質的には同じこと。

イマジナリーライン① pp.110-123

イマジナリーラインのかっちりした説明。

イマジナリーライン② p.126

説明図 (編集者さん、なんでここに置いた?)