パースは守りの技術である。絵画空間の一貫性を担保し、絵の違和感を無くす。
しかし完璧なパースそのものは「良さ」を産まない。現実世界が完璧なパースを持っているため、日常と同じ見慣れたクオリティ (=完璧) のパースを見せられても特に感動しない。
パースの完成系は現実であるため、パースの価値はこれが上限である。ゆえに不自然さで減点されこそすれ、完璧だからといって加点はされない。だからパースは守りの技術である。
構図は攻めの技術である。無限の選択肢から世界を「良く」切り抜く。
現実世界をカメラで切り抜いた時、大半は特に感動も何もなく加点も減点もされない。つまり何もないと加点0になる。
しかし「良さ」を感じる構図が確かに存在する。そして世界の切り取り方は無限にあり、正解が存在しない。ゆえに上限∞まで加点されうる。
減点が無く加点が無限まである。だから構図は攻めの技術である。
よく「パースが効いててカッコいい」といわれるのは、パースが効いていることそのものがカッコいいのではなく、強いパース+ポージングという構図がかっこよさの源泉である。
パースが効いていることそのものが良いのなら、直方体にパースかけるだけで良さが出るはずである。