たれぱんのびぼーろく

わたしの備忘録、生物学とプログラミングが多いかも

Vの3Dは「欠かすことのできない」ではない

3DはVTuberにとって「あれば活かしうる素晴らしいオプション」だが、必要条件ではない.
もし3Dこそが本質ならば、論理的にYouTuberに勝てない. なぜなら物理的な人間の3D度は究極に高いから.
そして実際、VTuberは3Dにこだわらない領域へも爆発的に浸透していった.

論理上

リアル調とトゥーン調の好みはあれど、3Dは空間での動き(体の動き、表情と絡みあう顔の動き)が本質.
YouTuberはリアル調3Dの究極系であって、めちゃめちゃに空間表現力が高い.
もし「3Dが本質」なのであれば、技術的に(まだ)3Dの質がYouTuberに勝てないVTuberが流行るのはおかしい.
「トゥーンが好きだから無問題!」というのであれば、3Dは本質じゃないということ(トゥーン調の世界観が本質ということ).

経験上

ここ5年でわかったことは「3Dは本質ではなく、あれば活かしうる素晴らしいオプション」だということ.
現実としてYouTuberより3D度の低いVTuberは爆発的に普及し、さらに2Dモデルが主流にさえなった. シューター系ゲーム実況ではもはや立ち絵1枚絵でさえ違和感が少ない.
一方で音楽系ライブにおける3Dの抜きんでた素晴らしさは語るまでもない. 企画メインのVTuberが身体表現必須の企画で3Dを活かしきった例も枚挙にいとまがない.

考察

結局のところ、3Dが本質か否かはコンテンツで決定される.
雑談・対談はラジオ的であり身体性は重要じゃない. シューターはゲームプレイこそがメイン.
ライブは音と共にダンサブルな身体性・表現力が本質の1つとしてあり、体を張った企画には当然「身体」が本質的に必要.
ゆえに、Vの3Dは「欠かすことのできない」ではない

じゃあ本質は?

VTuberという存在が活躍する分野を広げていった結果、3Dがオプションである領域でも活躍できることが明確になった.
3Dじゃないなら、VTuberの「本質」はなんなの?という話.
可能性の1つは「共同幻想
次の記事参照.

tarepan.hatenablog.com