- レベル1: 理解不能
- レベル2: 理解可能、退屈
- レベル3: 理解可能、退屈しない
- レベル4: 理解可能、面白い
レベル1の段階で想像以上に難しい。構成面ではコンティニュイティの意図しない破壊が大半の原因であるため、言語化されてる方法論を学べばレベル2へ誰でも成長可能。
レベル2は、理解できるがつまらん、という段階。原因は企画か演出の2パターン。演出の場合はそれなりに言語化されていて、テンポ感やフレーミングなどの基礎レベルを学ぶことになりそう (止め絵で15秒喋ったり、やたら固定俯瞰だったり)。
レベル3は、印象に残らない、という段階。違和感が無いので、たまたま手に取ればある程度見続けてくれる。問題点が有るのではなく得点が足りないわけで、次へ進むシステマチックな方法は無い (あったらエンタメの覇者になれる)。
退屈と慣れ・展開の関係
理解ができるのは大前提として、退屈はなぜ生まれるのか。それは構成のどの要素から出てくるのか。
気に入ったアニメは複数回見て楽しめる。展開は既に知っているため、新規情報は無いのに楽しめる。これは新規性が必須で無いことを示している。
会話娯楽理論でも同じ議論があり、新鮮で鮮烈なコンテンツは必須ではない。
一方で初見の方がドキドキする感覚はやはりあり、新規性は効果はあるけど決定要因ではない、の可能性が高い。
退屈の素朴な感覚として「先が読めてて、かつ、引き込まれる感じもしない」がある。
対照的に既知コンテンツを楽しむときは「先が読めてるけど、惹き込まれる」という感覚がある。目の前にパワー源があってそれを追っちゃう、みたいな感覚。
これをひとまず「引力」と呼んでみる。
引力が足りないと引き込まれず退屈する。引力は既視・慣れで低減する。
理解可能な未知・新規であればそれだけで大きな引力が発生するかというと、正しく無さそう。それが真ならあらゆるエンタメは面白いはず。
つまり引力源は別にあって、それを鑑賞者が受け取る際に新規性ボーナスが掛かってる形 。
引力源は色々ある可能性アリ。
会話娯楽理論からすれば、好きな人との会話は「好きな人」が根源的な引力源。
また美しさには根源的な引力がある。
ストーリーはそれ単体で面白さがあり、それは話の「展開」が根源的な引力源 (畳み方が杜撰でも過程で引き込みまくる事例はいくらでもある。炎上するけど)。展開がなぜ引力源として作用するのかはもう少し考える必要がある。期待感? 因果感? 理解感?
どんなに魅力的でも同じモノが続くと退屈さが出てくる。なので引力は引力源を継続長で割ったものになる。
提示長を短くしてけば引力が強まるが、理解が追いつかなくなるリスクも高まる。となると理解できる範囲で最短にすると個別の引力源は最大限の引力を発揮する。
コンティニュイティを保てば理解が容易になるため最短時間をより短くでき、引力を上げられる。
シークエンスとしては引力源の選定と適切な配置が重要。パワーそのものあるいは時間効率の悪い引力源だと引力が小さくなるのでそこを選定。
濃くかつ理解に時間の掛かる引力源は良質かつ長めのカットになるため、遅いテンポを志向するならこのタイプをつくる努力が要る。