幽霊探知器には論理的な矛盾がある。
なぜなら「幽霊探知器の正しさを証明するには、別の正しい方法で幽霊を探知する必要がある」からである。
ある日、発明家はこう言った。
「ついに私は本物の幽霊探知器を作り上げぞ!」
村の人々は興味津々。本当なのか、と発明家に問いました。
発明家が幽霊探知器をお墓にかざすと、なんと、幽霊メーターが動くのです!
人々は、これはすごい発明だ、と発明家を褒め称えます。
しかし、村一番の賢人は発明家へこう問いました。
「これは凄い、幽霊を探知している可能性がある。発明家さん、この幽霊探知器の正しさをどうやって証明したんだい?」
発明家は自信満々に「ほら、墓にかざすと反応するだろう?」と答えました。
賢人は首を傾げながら「いやいや発明家さん。お墓に幽霊がいるとどうやって調べたんだい?」と素直な疑問をぶつけました。
発明家は「それは簡単さ。この幽霊探知器が反応するからさ。」と答えました。
ある村人が指摘しました。「幽霊探知器の正しさを証明するには、幽霊を見つける必要がある。幽霊がいることを示すために、正しいかわからない幽霊検出器を使うのはおかしくないか?」
発明家は慌てふためきながら、こう言いました。
「そう言われるとそうだが…。でも、幽霊がいることを示す方法が無いから、私は幽霊探知器を作っているんだ。なのに、正しさの証明には幽霊がいることを示す正しい方法が必要…? ど、どうなっているんだ…?」
村の人々もざわめき出します。そんな中、賢人は言いました。
「これは論理的な矛盾だ。見えないモノの検知法が正しいと示すには、見えないモノを見る必要がある。しかし、見る方法が無い。ゆえに正しいか判断できないのだ」
「つまり、見えないモノを見えるようにする検知器は、その正しさを証明出来ないのだ」
それを聞いた発明家は、ショックでひっくり返ってしまいましたとさ。おしまい。
いわゆる探求のパラドックスってやつなのかな